一人の100歩から、みんなの一歩へ|与論島・池田龍介さんと考える、海ごみと地域の関わり

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一人の100歩から、みんなの一歩へ|与論島・池田龍介さんと考える、海ごみと地域の関わり

浜に流れ着くペットボトル。
割れたプラスチック。
どこから来たのかもわからない漂着ごみ。

誰かが拾わなければ、そこにあり続ける。
けれど、誰か一人だけが拾い続けるには、あまりにも大きい。

では、その「誰か」を、どうすれば「みんな」に変えていけるのでしょうか。

今回のPORT BARでは、与論島でSUPガイドをしながら、環境教育などに取り組む、一般社団法人E-Yoron事務局長の池田龍介さんをゲストにお迎えしました。

池田さんが続けてきた海ごみにまつわる活動を通して、地域の中で誰が担うのか、どうすれば無理なく続いていくのか、そして一人ひとりの小さな行動が、どうすれば地域の文化になっていくのかを考える時間となりました。

一人で始めた、毎朝の海ごみ拾い

池田さんは与論島で生まれ育ち、島を出たのち、長野県で自然体験教育の仕事に携わりました。その後、与論島へUターンしました。

サンゴ礁に囲まれた与論島。島の周囲はおよそ23km

島をぐるりと囲むサンゴ礁、潮が引いたときにだけ現れる砂浜、海の中で出会うウミガメ……池田さんは、そんな島の美しさを紹介しながら、同時にこう語りました。

「海洋プラスチックや漂着物が、毎日のように流れ着いています。」

島に帰ってきた池田さんが最初に始めたのは、海ごみを拾うことでした。

「とりあえず自分にできることからやろうと思いました。海ごみを拾うことだけであれば、法人もいらないし、自分一人から始められる。」

帰郷した翌朝から、海岸へ行き、海ごみを拾う。当時はFacebookで「明日はこの浜でやります」と発信しながら、その活動を続けていきました。

はじめは、一人でした。

「誰も来ないぞ」と言われたこともあったといいます。それでも、1週間、1か月、そして1年と続けていくうちに、少しずつ一緒に拾う人が増えていきました。島に暮らす人だけでなく、観光で訪れた人たちも、ビーチクリーンに協力しようと、朝6時半の海岸に集まるようになっていったのです。

「たくさん拾った」から「少ないことが成果」へ

与論島には、60か所以上の砂浜があります。活動を始めた頃は、ごみが多く、拾う人も少なかったため、島内の砂浜を一巡するのに、半年ほどかかっていました。それが、2周目は4か月、3周目は3か月へ。今では、別のボランティアグループが活動を引き継ぎ、ビーチクリーンを続けていますが、さらに短い期間で浜を回れるようになっているとのこと。

与論島に漂着する海ごみの量は、年間およそ30〜40トン。その総量は、この10年で大きく変わっていないと池田さんは話します。

それでも、回収する人の手が増えたことで、海ごみが溜まる前に拾えるようになりました。

「活動の成果が、『たくさん拾いました』じゃなくて、『これだけでした』みたいに変化してきたんです。」

たくさん拾うことが成果だった時期から、ごみが溜まる前に拾える状態を保つことが、成果へと変わっていきました。

海ごみ拾いを、仕組みに変える

毎朝のビーチクリーンを続ける中で、池田さんの中には一つの問いが生まれました。

「砂浜は毎朝のビーチクリーン活動できれいになったけど、ほとんどの人は車やバイクで海岸に集まっていて、その移動にはガソリンが使われている。化石燃料の使用量はやっぱり大きい。本当にこれは環境にいい活動なのかと、2年目、3年目は悩むようになりました。」

海ごみを拾い、環境によいことをしているはずなのに、一方で別の負荷が生まれている。池田さんは、その違和感と向き合い、考え続けていました。

そんなある日、いつものように朝6時半に海岸へ行くと、誰かがごみを集めてくれた跡を見かけました。

「浜の近くにごみ拾い用の箱があれば、イベント的に人を集めてごみ拾いをやる以外の方法でも、きれいな地域にできるんじゃないか」

池田さんはそう考え、会議で何度も提案を重ねました。

協力してくださった方々

役場の方が賛同し、予算化が進み、島の大工さんが、海の景観を邪魔しない白い木箱の「拾い箱」を制作することになりました。箱に入れられたごみは、役場の環境課が回収し、処分する流れができました。

そうして生まれた「拾い箱」は、海に行ったついでに、散歩の途中で、誰もが気づいたときに行動できる仕組みになりました。

そこには、池田さんが大切にしている考え方が込められています。

「特定の人たちだけがやるんじゃなくて、みんなでちょっとずつ良くしていく。そういう地域、そういう島を目指しています。」

ビーチクリーンを頑張る人たちがいると、その姿を見て、「あの人たちはすごいね」と言う人がいる。けれど、その一方で、「私は拾わないけどね」という空気も生まれてしまうものです。

頑張れば頑張るほど、特定の人に依存する活動になってしまう。そんな違和感も、拾い箱をつくった理由の一つでした。

人が来るほど、砂浜がきれいになる島へ

一般的に、人が多く訪れる場所では、ごみや環境負荷が増えやすいものです。観光地であればなおさらです。けれど池田さんは、砂浜の海ごみに関しては、別の未来を描けると話します。

「人が来るほどきれいになる砂浜っていうのは、十分実現可能だと感じています。」

もちろん、簡単なことばかりではありません。

拾い箱を設置すれば、家庭ごみを持ち込む人が出るのではないか。ただのごみ箱として使われるのではないかという声もあります。実際に、意図とは違う使われ方をすることもあるといいます。

参加者との質疑応答の中で、活動を続ける難しさについて聞かれた池田さんは、「正直、簡単ではないです」と返しました。すべての人に、ごみ拾いを自分ごととして受け止めてもらうのは簡単ではありません。だけれど、伝わる人にはきっと伝わる。

「ごみ拾いに関しては、本当に一緒にやってくれる人がいたからですね。」

誰かが一緒に来てくれたこと。
誰かが先に拾ってくれていたこと。
そんな小さな出来事の積み重ねが、活動を支えていました。

拾うだけでは終わらない、
アップサイクルという試み

海ごみを拾うことは、とても大切です。けれど、池田さんは「拾うだけでは、社会ってやっぱり変わらない」と話します。

拾ったごみは、分別され、処分されます。多くの場合、それは燃やされます。燃やされても、消えてなくなるわけではありません。焼却灰となり、最終的にはどこかに埋め立てられます。

与論島の場合、その灰は島の中に埋め立てられているといいます。

海から拾い上げたごみが、形を変えて、また島の中に残っていく。その現実を前に、池田さんは、少しでも生かせるものは、アップサイクルへつなげたいと考えるようになりました。

島で出たものを、島の中で生かす。ごみとして終わるはずだったものに、もう一度役割を与える。

環境教育の場では、子どもたちの反応も大きいといいます。

「ペットボトルキャップが、こんなかわいいものになるんだ、というところに子どもたちは食いつきますね。」

ごみを拾うだけではなく、そのごみがその後どうなるのかを想像すること。そして、もう一度使えるものへ変えていくこと。小さなキーホルダーが、子どもたちにとって、環境問題を少し身近に感じる入り口になっていました。

そして池田さんの取り組みは、拾ったごみを生かすことだけにとどまりません。

そもそもごみをつくらないために、リユースカップ制度の導入や、量り売り、マイボトルの普及活動にも力を入れています。

その土地に合わせ、考え直す

池田さんの活動は、与論島だけでなく、鹿児島県内外の離島にも少しずつ知られるようになっています。

けれど、参加者から「他の島へどのように波及していけばいいか」と問われたとき、池田さんは、同じ形で横展開していくことには、難しさもあると話しました。

「本当にその地域によるので、与論島でやっていることをそのままやるというのも、ちょっと違うかなと思っています。」

拾い箱は、与論島では機能している。でも、それは地域の文化や、海岸の使われ方、行政との連携、日常のごみ拾いへの感覚があってこそ成り立っている面もあります。

同じ仕組みを、別の地域にそのまま持っていけばよいわけではありません。

一つの成功事例を、正解として横展開するのではなく、それぞれの島の暮らしや文化、関わる人々に合わせて形を変えていくこと。

与論島の拾い箱は、他の地域にそのまま移すための「正解」ではありません。むしろ、それぞれの島で「自分たちなら、どうしようか」と考え始めるきっかけになるものなのだと思います。

一人からできることはある
でも、一人だけではできない

対談の終盤、池田さんはこう語りました。

「一人からでもできることは、やっぱりあると感じています。ただ、一人だけではできない。」

海ごみ拾いは、一人から始まりました。けれど、一人だけだったら、それはただの苦行だったと池田さんは言います。

一緒に拾ってくれる人がいた。誰かが先にごみを集めてくれていた。役場の人が賛同してくれた。島の大工さんが箱を作ってくれた。観光客が朝のビーチクリーンに参加してくれた。子どもたちや学生たちが、そこから学びを受け取ってくれた。だからこそ、いろんな人と連携する、つながることが大切。

池田さんが一人で始めた与論島でのチャレンジは、いつしか、いくつもの手に支えられていきました。そして、「自分たちでよくしていこう」という意識を持つ人が増えることで、地域の主体性が生まれ、よりよい地域づくりにつながっていく。

それは、島嶼基金が大切にしている「共に走る」という姿勢とも重なります。

まず自分にできることから始める。一人で背負い続けるのではなく、誰でも少しずつ関われる形にしていく。そうした関わりが少しずつ重なって、海をきれいにすることが、特別な活動ではなく、島の日常になっていく。

一人の100歩から、みんなの一歩へ。

「環境問題」という言葉は、ときに大きすぎて、私たちの日々の手の届かないもののように感じられます。

海洋プラスチックのこと。漂着ごみのこと。拾った後に、焼却され、埋め立てられていくごみの行方のこと。

どれも、一人の力だけで解決できるものではありません。けれど、一人から始められることはある。

朝、浜に出て、ごみを一つ拾う。使い捨てる前に、別の選択肢を考えてみる。自分の暮らしと海が、どこかでつながっていることを想像してみる。

島の未来を守ること。それは、足元の浜に落ちている一つのごみを拾うことからも始まります。

島嶼基金は、これからも島々で生まれている小さな実践や挑戦に目を向け、その歩みに寄り添いながら、必要なつながりを育てていきます。

〜後日談〜
今回のPORT BARTをきっかけに、三島村・竹島でも「拾い箱」の制作につながりました。

みんなで拾い箱作り!自然公園づくり|GO!MISHIMA