何もない日のつながりが、島を支える。|かごしま島嶼ファンド 設立1周年記念 PORT BAR 開催レポート

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何もない日のつながりが、島を支える。|かごしま島嶼ファンド 設立1周年記念 PORT BAR 開催レポート

あなたが、未来に渡したい島の風景は何ですか。

青い海や、深い緑。
祭りの日のにぎわいや、島に受け継がれてきた唄。
食卓を囲む時間や、いつもの道を歩く人の姿。

「島の風景」と聞いて思い浮かべるものは、人によってきっと違います。

けれど、その風景をもう少し近くで見てみると、そこにはいつも、人と人とのあいだに流れるものがあります。

誰かと誰かが言葉を交わすこと。
困ったときに「あの人に聞いてみよう」と顔が浮かぶこと。
子どもたちが、大人の笑う姿や働く姿を見ながら育っていくこと。

目には見えないけれど、長い時間をかけて育まれてきた「関係」もまた、島の風景をつくっているのではないでしょうか。

2026年7月30日、かごしま島嶼ファンドは設立から1周年を迎えました。

この節目に開催したPORT BARでは、この一年を振り返るとともに、「コミュニティ財団の役割」と「未来に渡したい島の風景」という二つのテーマから、これからの島嶼基金について考えました。

開催の2日前には熊本を震源とする地震が発生。公益財団法人佐賀未来創造基金の山田健一郎さんも、熊本への支援対応のため急遽オンラインでの登壇となりました。

開会にあたり、私たちがお伝えしたのは、

「このような時だからこそ、地域で私たちが果たすべき役割や、手渡したい未来の風景について語り合う時間を大切にしたい」

ということでした。

振り返ってみると、この夜に語られた「平時」と「有事」、そして「未来」は、別々の話ではありませんでした。

※ここでは、災害などが起きていない普段の日々を「平時」、災害が発生し、いつもとは異なる対応が必要になる状況を「有事」と呼んでいます。

「共に走る財団」の、最初の一年

2025年7月30日、かごしま島嶼ファンドは「共に走る財団」を掲げて船出しました。

鹿児島には、南北約600キロにわたって大小さまざまな島々が点在しています。そのすべてに、一つの財団だけで手を伸ばすことはできません。

だから、最初から大切にしてきたのは、何かを「してあげる」ことではなく、一緒に考え、一緒に動ける仲間を増やすことでした。

2019年に設立した鹿児島離島経済圏(通称リトラボ)で出会った仲間をはじめ、理事、評議員、アドバイザー、エリアパートナーなど、県内各地で島や地域に関わる人たちとのつながりを重ねながら、設立の日を迎えました。

設立にあたって寄せられた賛同は、全国から837名。
寄付総額は15,427,000円。

けれど、その数字の大きさ以上に、私たちの中に残っているものがあります。それは、一人ひとりから預かった「思い」の重さです。

故郷を離れて暮らしている人。
島で新しいことに挑戦する若い人たちを応援したい人。
島を旅して好きになった人。
自分の島だけでなく、となりの島のことも想う人。

集まったお金には、それぞれ違う背景と願いがありました。

代表理事の山下は、この一年を振り返りながら、それを「温度のあるお金」であり、「責任のあるお金」だと話しました。

だからこそ、島嶼基金が目指しているのは、ただ寄付を集め、助成金として渡すことではありません。この一年は、財団の基盤づくり、助成プログラム、島を越えたネットワークづくり、防災・災害支援という、大きく四つの領域で活動を進めてきました。

なかでも、私たちが大切にしてきたのが「伴走」です。島々を訪ねてヒアリングを重ねるなかで、何度も耳にした言葉がありました。

お金の支援もありがたい。
でも、本当に欲しいのは、「人」なのだ、と。

何かに行き詰まったときに相談できる人。
自分たちだけではわからないことを、一緒に考えてくれる人。
島の外にも、「困った」と言える相手がいること。

人が少なくなっていく時代に、一つの島、一つの自治体の中だけですべてを解決することは、ますます難しくなっています。

だからこそ、島の外にも仲間をつくる。

島と島のあいだに、頼り合える関係をつくる。

この一年、「共に走る」という言葉の意味を、私たち自身も現場から教えてもらってきたように思います。

 

山田健一郎氏と語るコミュニティ財団の役割

第二部では、公益財団法人佐賀未来創造基金の山田健一郎さんを迎え、「コミュニティ財団の役割とは—平時と有事を見据えて」をテーマに、山下とのトークセッションを行いました。

山田さんが繰り返し伝えたのは、コミュニティ財団は、単にお金を集めるための組織ではないということでした。

財団だから、もちろんお金を扱います。けれど、お金があれば、すべてが解決するわけではありません。

誰が困っているのか。
何が足りないのか。
どんな人が動けるのか。
どことどこをつなげば、その状況を少し変えることができるのか。

ひと、もの、かね、情報。

それらを必要な場所へつないでいくこと。

地域の中で生まれた「ほっとけない」という小さな気づきを拾い上げ、誰か一人の困りごとで終わらせず、社会全体で考えられるものへとつないでいくこと。

山田さんは、そんなコミュニティ財団を、「思いをつなげる、見えないインフラ」と表現しました。

道路や港のように、目には見えません。けれど、何かが起きたとき、その存在が地域を支える。その話は、まさにこの日の状況とも重なっていました。

 

平時にできないことは、有事にもできない

災害が起きれば、時間との勝負になります。そのとき初めて、

「この団体は信頼できるだろうか」
「誰にお願いすればいいだろう」
「この地域には、どんな人がいるのだろう」

と調べ始めていては、どうしても時間がかかります。

けれど、普段から顔を合わせている人なら。
その人が何をできるのかを知っているなら。

「あの人なら動ける」
「あの団体と、こちらをつなげよう」

と、すぐに声をかけることができます。

山田さんが伝えてくれた、「平時でできていないことは、有事で絶対にできない」という言葉が、この夜、強く残りました。

防災というと、備蓄や避難訓練、設備のことを思い浮かべることが多いかもしれません。もちろん、それらも欠かせません。でも、そのさらに手前にあるもの。普段、どれだけ人と人が言葉を交わしているか。互いの得意なことも、できないことも知っているか。

困ったときに、ためらわず「助けて」と言えるか。

有事のときに私たちを支えるのは、何も起きていない日々にあるつながりなのかもしれません。

 

対話を重ねることが、コミュニティになる

では、そうした関係は、どうすればつくることができるのでしょう。

島嶼基金と企業、自治体、地域の団体がこれから連携していくうえで、最初の一歩は何なのか。

山下からの問いに、山田さんはこう答えました。

「話すことなのかなと思います」

顔を合わせる。
互いのことを知る。
そして、対話を続ける。

意見が違うこともある。ときには、ぶつかることもある。それでも、地域を少しでもよくしたいという共通の目的があるなら、話すことをやめない。

山田さんは、「対話の積み重ねがコミュニティになる」と話しました。

コミュニティとは、最初から仲のいい人たちだけが集まってできるものではないのかもしれません。立場も、考え方も違う人たちが、何度も言葉を交わしながら、少しずつ互いを知っていく。

そのあいだをつなぐこと。そのための場をつくること。

そこにも、コミュニティ財団が担える役割があります。

 

奄美大島出身の歌手・元ちとせさんと語る
「みんな家族」のようだった、島の暮らし

第三部では、奄美大島出身の歌手・元ちとせさんを迎え、「未来に渡したい島の風景」について語り合いました。

元さんが話してくれたのは、幼い頃に過ごした集落の日常です。通っていた小学校は、全校生徒4人。家には家族がいて、周囲にはおじいちゃんやおばあちゃんがいる。けれど、その境目はあまりなく、集落全体が「みんな家族」のようだったと振り返ります。

夕方、仕事を終えた大人たちが帰ってくる。広場にはシートが敷かれ、それぞれの家から料理が運ばれる。誰かが三味線を弾き、誰かが唄い始める。料理を運びながら、お囃子をする人もいる。

特別な祭りの日の話ではありません。
それが、ごく普通の日々の風景でした。

「大人と子どもの境界線がなかった」

元さんは、それが自分にとって、とても大きかったといいます。集落には、誰かが用意してくれる娯楽がたくさんあったわけではありません。だから、自分たちで面白いことをつくる。

唄う。
踊る。
誰かの真似をして、みんなで笑う。

子どもたちはそんな大人たちのすぐそばにいて、その輪の中で育っていきました。

そして、大人たちは、子どもたちのことを知っている。どの子が誰の子で、どこで遊んでいるのかを知っている。だから子どもたちは、海や川で思いきり遊びながら、たくさんの大人に見守られていたのだと話します。

 

唄が、いつか自分を助けてくれる

元さんは、デビューしたあとに島を離れて暮らす先輩から、「あなたがデビューしてくれたことで、やっと奄美大島出身だと自信を持って言えるようになった」と伝えられたとき、大きな衝撃を受けたといいます。

元さん自身は、奄美で生まれ育ったことを、嫌だと思ったことも、恥ずかしいと思ったこともありませんでしたが、そのような意識が島出身者にはあることに気付かされたと話します。

そこから、全国や世界に奄美を伝えること以上に、まず、そこで生まれ育った人たちが、自分の島に誇りを持てるように唄を届けたいと思うようになりました。

奄美の魅力は、きれいな自然や、おいしい食べものだけではない。「みんながそこにいるだけでつながっていくような、見えない糸」。そんな人と人とのつながりにこそ、島の強さがあるのではないかと話してくれました。

そして、いま島唄を習っている子どもたちに対して、元さんが伝えたいことがあります。上手に唄えるようになることが、すべてではない。

「唄のお守り」をもらいに行っていると思ってほしい。

子どもの頃には意味のわからなかった島の言葉が、大人になったある日、突然、自分の中で意味を持つことがある。人生で壁にぶつかったとき、昔聞いた唄が背中を押してくれるかもしれない。島を離れたあと、どこかで故郷の唄を耳にして、「自分はここから来たんだ」と思い出す日がくるかもしれない。

元さん自身も東京で奄美の唄を耳にしたとき、理由もわからないまま涙があふれた経験があると話しました。故郷で過ごした時間は、私たちが思っている以上に深く、その人の中に残っているのかもしれません。

 

人を知っていることが、命を守る

話は、再び「有事」へとつながっていきました。

奄美で豪雨災害が起きたときのこと。普段はお酒を飲んで冗談を言っている集落の人たちが、災害が起きれば、人の命を守るために動き始める。

「あの人には、これを頼もう」
「あの家には、まだ使えるお風呂がある」

誰が何をできるのかが、わかっている。みんなが、みんなをちゃんと把握している。それは、何か起きたときだけ生まれる関係ではありません。

一緒に食べたり、笑ったり、唄ったり。ときには冗談を言い合い、相手の弱いところまで知っている。そんな日常の積み重ねが、災害のときには、人の命を守る力になる。

山田さんが語った「平時のつながり」。
元さんが語った「みんなが、みんなを知っている暮らし」。

コミュニティ財団という仕組みも、島の小さな集落も、その根っこにあるものは同じなのかもしれません。

普段から、人を知っていること。
そして、困ったときに、頼り合えること。

 

未来に残したいのは、「場」と「関係」

最後に、「未来に渡したい島の風景は、どんなものですか」と元さんに尋ねました。

元さんは、「みんなが一緒に過ごせる空間が、ずっとなくなってほしくない」と話しました。

子どもと大人の間に壁がなく、同じ場所で一緒に過ごしていること。そして、大人が「大人の姿」を子どもたちに見せていること。大人たちが笑ったり、唄ったり、働いたり、誰かを助けたりする。その姿を、子どもたちがすぐそばで見ながら育っていく。

そして、その場所を楽しめる子どもたちでいてほしいし、自分自身も、その輪の中に入りたがる大人でいたい、と。

未来に渡したい風景。そう聞くと、私たちは、目に見えるものを残すことを考えてしまいますが、この夜に浮かび上がってきたのは、その風景を支えている、目には見えないものの存在でした。

人と人が出会うこと。
言葉を交わすこと。
誰かの小さな変化に気づくこと。
「助けて」と言えること。
子どもが、大人の背中を見ること。
島を離れても、故郷を思えること。

そして、一人の「ほっとけない」を、みんなの問いにしていくこと。

それらがなくなってしまえば、たとえ同じ海や山がそこに残っていたとしても、島の風景は、きっと少し違ったものになってしまいます。

 

「微力であっても、無力ではない」次の一年へ向けて

対談の最後に、元さんは島嶼基金へ、こんな言葉を寄せてくれました。

最初から、「どうせ無理だ」と諦めないこと。一人ひとりのアイデアは、すべてが大きなものになるわけではないけれど、

「これもいいんじゃない」
「それなら、こうしてみよう」

と誰かの考えに誰かの考えが重なれば、やがて大きな夢につながっていくかもしれない。だから、下手くそでもいいから、言葉を交わし、伝え合う。そこから、新しい未来が広がっていくのではないか、と。

この日の最後、島嶼基金の評議員からも、この夜を通して見えてきたのは「信頼のおける仲間づくり」だったのではないか、という言葉がありました。

お金だけでは、目の前の人を助けられないことがある。だから、人と人がつながっていること。

有事の初動を決めるのも、平時にどれだけ関係をつくってきたかということ。私たちがこの一年、つくろうとしてきたものも、もしかすると、そんな目に見えない島のインフラなのかもしれません。

設立から、一年。
私たちはまだ、「財団とは何なのか」という問いの途中にいます。

財団をつくることが、ゴールではありません。
次の世代へ、鹿児島の島々をどう渡していくのか。

「小さいから」
「人が少ないから」
「お金にならないから」

そんな理由だけで、誰かが大切にしてきたものや、「やってみたい」という思いを諦めなくてもいい地域を、どうすればつくることができるのか。

その問いに、簡単な答えはありません。けれど、最後に山下が話した、「微力であっても、無力ではない」という言葉を、私たちはこれからも大切にしたいと思います。

一人の小さな思いが、誰かに届く。
その人が、また別の誰かに声をかける。

そうして少しずつ、島の未来を一緒に考える仲間が増えていく。

私たち自身も、まだこの船がどこにたどり着くのか、答えを知っているわけではありません。だからこそ、これからも島で生まれる小さな声に耳を澄まし、言葉を交わし、仲間を増やしながら進んでいきます。

平時にも、有事にも。
島の未来を諦めない人たちと、共に走る財団として。

あなたが、未来に渡したい島の風景は何ですか。

その風景の中には、誰がいますか。次の一年も、そんな問いを、皆さんと一緒に考えていけたらと思います。

主催:一般財団法人かごしま島嶼ファンド
開催協力:そらのまちほいくえん


\島嶼基金のいまをお届けしています/

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